重きの置き所
最近これからの将来どうやって生きて行こうか悩んでいる。
お金稼ぎに必死になるか、目の前の幸せを拾っていくか この二つに。
7月8月の自分は完全に目の前の幸せを拾っていっていた、盲目に、
仕事をして家に帰り疲れていても早く寝るわけでもなく用のないsnsを開いてなんとなく充足感を仮の形で得ていたり、飲みに行ってばーっと騒いだり、楽しむことは悪くないことはわかっているんだけど本を読んだり、自己投資の時間を取ろうってなるとやる気が起きなくなる。
その日暮らし感が半端ない。
そんなこんなのくせに幸せになりたい、あれが欲しいこれが欲しいって言っちゃってる。
目の前のことに向き合うことは重要だけど、先のない目の前ってのはダメだと思うんだよね。たとえば指示されたことだけを考えて作業的に仕事をしたり、飲みに誘われて盲目にok!って言ったりとかね。せめて、「こいつらとまた素敵な時間を過ごそう!」とか思おう。
一つでも多く将来の自分につながることをしたい!って思うし。自己投資をせずに良い大人になってから「なんで俺の人生はこうなんだ、低収入で家族も十分に養えないし、生きがいがない、、」みたいな。
結局行き着くところは、今の社会は資本主義社会、資本が絶対だということで。お金を得ることが幸せかどうかかはわからないけど、それを追求しないと生きづらいことは確かだ。
今の自分がバイトをして時給計算のバイトをしたとしてもそれは20万円なら20万円で変わらないもの。 だけどそうじゃなくて、必死に努力をして毎月20万円入ってくるような事業を作り上げたら、それは単なる20万円じゃなくて一つの会社として5年計算でも1800万円入ってくるようになる。
機械的に苦労して数字通りでしかないお金を得るくらいなら時間とエネルギーを使って楽したいな〜 楽っていうのもあるけどそれ以上にそうやって何かに取り組むのは絶対楽しいと思う。超大変そうだけど。
その大変さっていうのは、10代20代みんなが遊びに行ったり、飲み行ったり、楽しんだり少しだらけている時に我慢をして努力すること。
それで得た報酬的なものは10年20年後に来たとしても恨まれる筋合いはないと思う。学校で言うと成績のいい人があいつはいいよなってその人のバックグラウンドを意識せずに言われるのと一緒で。
今は、経営でもエクセルでもなんでもスキルを身につけて自分という資本の市場価値を上げたい。
若い時のお金なんて所持しててももったいないから早めに自分に使って循環を早くしていきたい。紙を正確に二等分、それも100枚やるという単純作業の時、切れるナイフを買っておけば時間もエネルギーも少なく済んでまた次のことができるし。
毎回必ず2時間はかかる仕事を毎日その時間かけてするなら、10時間必死にどうやったらもっと効率的にできるか、ってことに時間と労力、必要ならばお金を投資すれば2時間が30分になって最終的には得をする。みたいに。 これこそ守破離という物事の上達の基本に通じるのかあ
あと冒頭に書いた、「目の前の幸せを拾う」っていうのが今回の悩みどころで、結局自分が将来お金を稼げるようになってどこに目が行くかって言ったら「幸せ」だと思う。その時に自分の周囲にはビジネスとか効率を考えた人しかいなくて昔の友達が離れていたらとてつもない寂しさを感じること間違いなし。
自分がイタリアで学んできた価値観「人生を楽しむ」ということにも反すると思う。
書いてて答えが出てきたような気がするんだけど、
若い今は全てのことに必死になったらいい。でもそのバランスを考えようってことだよね。そしてそのバランスっていうのは自分一人では気づきにくいので誰か一緒に切磋琢磨できる人やメンターがいたら良いってことだよね。
なんでもしたら良い、でも捨てるものがないといくら時間があっても足りない。ぶっとびたいなら若いうちはいろいろ捨てる。そして自分に投資をガンガンしてお金も時間もエネルギーもフローしてる状態で回転数高く生きたいな。
そしてある程度のところまで行ったら、幸せを探究しよう。
幸せっていうのは他人との関わりの中で見つけられる というのは既に実感としてあるけど、それ以前に自分自身が出来上がっていたい。いつまでも同じ土俵にいたくない。
まあとりあえず言えるのは、目の前だけに見える現場仕事の庭師も少しずつ自己投資はしているだろうけど、もっと本気でやろうと思えば10年かかることも5年でできるようになると思う。
ケツに火がついた状態だったり、自営業で親が亡くなっていきなり20歳の息子に経営が回ってきたり、締め切りに間に合うかどうか!というところで出てくる土壇場強さにどれだけ出会って、それに慣れては前に進んでまた新しい限界を見つけていくことが最短で成長できる方法だと思う。
そんな機械滅多にないけど自分で作り出さないとコンフォートゾーンから抜け出せないよね。
作ろう!