hironokangaegoto

雑記帳的に自分の想い、考えていることを吐き出していく

鉢と植物

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鉢と植物、それは人にも転用できることじゃないかなと思う。

 

庭や緑空間を作るときでの鉢は最初に決まっているハードな部分で植物はソフトな部分。

ハードな鉢は、一回設置、施工してしまうと変えるのはとても大変なことになる。

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実際↑のコンクリの鉢は壊すことはコスト的にも容易ではない。

ソフトな植物は、気に入らなかったら木を抜いたり移植したりすれば変えることができる。

 

人間で例えた場合だと、今まで蓄積や何かがある人は鉢が可変で広く、しっかりしている。

その上の植栽はその人にとって自由である。

しかしその鉢の形や性質が固まってしまっている人であると、新しいなにかを作る時に絶望して、壊そうとしても恒常性が働いて妥協することになる。

そして一例として人間の嫉妬というのは、頑張れば追いつくというところでは発生しない。

ソフトな植物的なところでの差については嫉妬しにくいが、ハードな鉢的なところはどうしようも無い差があるため発生するのかもしれない。

 

 

と、まぁ適当に考えたのは最近老いを感じる様になったからである。

大学一年生とはいえ社会が近くに迫った状況で大人になると時間的、精神的制限が多いのだと感じ、かといって自由な立場な今もそんなに活動できていない自分を客観的に見た時に寂しくなる。

 

これは誰かや作品に刺激され、自分も何かしないとって思っていても行動できない虚しさと自己嫌悪に似ているとも思う。