二子玉川 帰真園 庭園感想
流れの石組が上手、水の流れに対する石の据え方に理がある、そして源流部、中流、下流最後の池までの流れの幅と水の勢い、それに準ずる地割と石組、植栽の密度が完璧に呼応していた。
石種も源流部の石は秩父の青石、池(海)に近くなるにつれて根府川石のように上品になっていき、舗装のパターンの切り替えにもストーリーが見られる。
個人的には、遠目から見ても園内でも目を引いた植物はマツであった。やはり空間や空気を締めて上品にさせる働きがあると思う。
マツがないと仮定して植栽種を見てみると平賀達也さんの植栽に似ていた。
広域の植栽では最近そのような傾向があると思う。それから脱するとしても自然の抽象化に反して奇抜になってしまうとは思うが、新しい形も作らなければならない。
自然界の滝3つや流れの種類3つを一つに縮景された視点場、書院からの景色も滝落ちが見えていて贅沢。
池側から滝側を見た時には反り立つ石に自然界に見た時には感じられる格好良さを感じた。
池の方、書院側は小堀遠州の意匠や京都の船着場でよく見られる矩形の石で留めていた。
書院周りの池も京都の雰囲気で迎賓館にも似ていた。
各視点場において、視点をフレームで切り取った時にどんな素材がどういうように見せたいのか、などの意図が見えた。
石橋の横にある落下防止スロープにも竹でカバーされてあったり、枡の隠しにも竹が使われていて全体的な完成度が高い。
川の中洲のような場所にある庭なため風の通りも良く、空は広く見える。
一つ思ったのはこの庭が500年後以降にもののわかる人に感動を与える庭か ということである。
バリアフリーで、園路もしっかりと整備されているためユニバーサルデザインではあるが、そのため大衆には受けいられるがコア層や心の底に感動や疑問、不思議な気持ちを残すような庭ではない。
将来、月心寺や、白砂村荘、、大河内山荘の裏露地、山梨の妙善寺のような不思議な力を持つ庭ではない。
どちらかと言うと帰真園の庭のタイプは無鄰菴のような明るく綺麗な庭なのだろう。
今までの日本庭園の手法や形式を現代に持ってきているため、ある意味では親近感、既視感もあり、且つしっかりと作り込まれている完成度の高い庭園であった。
このような流れを継いだ庭が現代に作られたことで将来の庭に携わる人間に安心感を与えられたと思うが、感動をや不思議な魅力を備えているとは思えなかった。
夢や不思議さを備えるロマンチックな庭を作りたいが如何んせん公共の庭となると難しいのだろう。