西日本旅行記3 8月12日
球磨川温泉でモーニングを食べた後は優雅に7時50分の電車で鹿児島県まで、
昨晩は九州を襲った雨の影響で電車が進むかどうか不安だった、そしてそれは朝になっても同じであった。
7時50発の電車は少し遅いなと思いつつもモーニングを食べて、改札に行ったら駅のところにいたおばさんに『電車が遅れてるよ』と言われた。
それを聞いてどうなることかと焦ったが自分ではどうしようもない、鉄道会社の判断なのでそれに任せるしかなかった。
とりあえず遅延した電車に乗った。
電車はここだけの区間JR線ではなく、肥薩おれんじ鉄道というところなので別料金で1500円かかった。
ご当地の美味しいものを食べられるならちょっとお金を出す事は出来るが、移動費は青春18切符の範囲内で収めたいのでちょっと嫌な気分になった。
とはいえ肥薩おれんじ鉄道は今までの車窓の眺めの中でランキング上位に入ってくるほどの景色で、海の景色がとても良かった。
だんだん雨が強くなってきて、途中から車掌さんと、もう1人電車の沿線の管理をしているようなヘルメットを被ったおじさんが乗車した。
そのおじさんは電車の一番前のところから土砂が沿線に来ていないかをチェックしているようだった。
どうなるかなと自分は心配だった。
そしてその数10分後、車掌さんが社内コールをかけた。
『この列車は大雨のため目的地までは行かず、途中の和泉駅で止まります。お客様にはご迷惑をお掛けします。』と言った。
まじか!となったがとりあえず電車を降りた。
降りたところは一応新幹線の乗り降りできる駅になっているような駅だった。
ともかく自分としては明日の午前中までに鹿児島の中央に着いていないと困るため悩んだ。
車掌さんに、今日中に再会の目処が立つことはありますか などと聞いたが難しいようだった。
たまたま、それを車掌さんに聞いているときに隣にいた旅人のような人がいた。
その人も鹿児島に行けずに困っているらしく話しかけてみた。
そしたらとりあえずバス乗り場や新幹線乗り場に行ってみようとのことで一緒に行くことになった。
新幹線も大雨のため打ち切りで、2択になった。
1つ目は大雨の中電車再開を待つ。
2つ目は鹿児島空港までバスで行き、乗り換えをして中央まで向かう。これは3000円かかってしまう。
個人的には最初の方で書いたように移動費でオプション的な出費は抑えたかったので悩んだが、明日までに着くのなら、と思ってバスにした。
バス停でその人と待っているときに色々話を聞いた。
彼は今から30歳くらいで埼玉出身のサラリーマンだそうだ。学生の頃からよく旅をしてて、旅は経験値が重要だよとアドバイスしてくれた。
彼は経験者らしく荷物も軽そうで右手には折り畳み自転車を抱えていた。
最初はお互いに旅の話をしていたが普段何をしていたかなどちょっと込み入った話をしてみたらかなり共通点のある人だった!
高校の時は山岳部で国体でバリバリにやっていた人で、大学でも山岳部。
自分の話をしたときに、自分は造園学科にいると言ったら、『え?農大?』と言われ、ということは!と聞いたらその人は農大OBだった笑
こんなことあるんだと思い、話をさらにした。
バスが来て揺られている時は他の乗客もいた為話はせず、鹿児島空港に着いた時その人は起こしてくれた。
それでお別れを告げて彼は自転車でどこか市内へ、自分はバスで鹿児島中央に行った。
鹿児島空港でバスを待っているとき、外に足湯があったためありがたく使わせてもらった。
ずっと裸足だったのでサンダルを脱いでそのまま入り、出る時は足を拭かずにそのままサンダルを履いて自然乾燥した。
バスまでまだ時間があったので空港に入ってみた。
ナポリ空港を思い出した。
やっぱり飛行機はすごいなぁって、今度旅する時は飛行機を使おうと心に決めた。
流石に各駅電車は値段は安いが疲れてしまう笑。
バスに乗って、鹿児島中央に向かった。
途中路面電車が走っていたり建物がたくさんあって、鹿児島なかなかすごいなと思った。
桜島は天気が悪かったため見えなかったが、一応桜島はそこにあるので長渕剛の桜島を聞いた。
着いたのは1時ごろでお腹が空いていた。
どうしようかと悩んだが福岡の時と同じく、とりあえず荷物が邪魔なのでどうにかしたかった。
そして明日からの調査に必要なものを買い足さなくてはならないのでお店を見つける必要があった。
Googleマップで百均を調べて、そこで買った。
お腹が減ったのでとりあえず小腹満たしにと、おにぎりを一つ買った。
これはお金節約と、美味しい料理を食べるための前準備である。
これでひと段落した。
明日のフェリーに乗れば良いだけになったので港近くの宿泊施設を探した。
天文館というエリアが調べるとでてきたので行ってみると建物も人もすごいとこだった。
南九州一の繁華街だそうで、アーケード街がアリの巣みたいに広がっていた。
喫茶店も多く、どこかに入りたくなった。
まぁ荷物が邪魔なのでとりあえずどこかに置いておきたい。時刻は午後2時。
ホテルを予約するにも2時だとある早すぎる。とはいえネットカフェだと今から予約すると5000円かかってしまう。
ということでコインロッカーを探した。
ネットと人に聞いてみて探したのだが、どこを行っても自分のザックが入る大きさではない。
というか自分のザックが大きすぎるのであろう。
もう、疲れた、さすがしょうがないなということで、ネットカフェにした。
少しでも気分を落ち着かせたかったので鍵付きの個室にした。
漫画もネットも使わないからちょっともったいないなと思いつつ。
やっと荷物が置けた!
という物理的精神的重荷からの解放から個室で寝っ転がった。そのまましばらく立てなかった。
まぁそんな時間もありだった。
時間が経ってからは買った荷物をザックにパッキングして整理した。
軽く着替えもして、繁華街である天文館にでた。
天文館は本当に盛っている場所だった。
商店街が未だに活気付いていたし、車道の方も見るからに良い雰囲気だった。
ブラブラ歩いたら、そのまま西郷隆盛像を見に行き、さつまいもを買って食べた。
さつま揚げも食べたかったが手に入らなかった。
美味しいお昼ご飯を食べようと思っていた釜さつまいもでお腹いっぱいになったし意外と満足。
夜はいいもの食べようと思ったが、結局うどになった。
出汁が違うのかなって食べたくなった。
鍋とか肉とかご当地のものはあるらしかったが大人数系の食べ物を1人でつつくのはもう御免だった。
通りを歩いているお姉さんとかと一緒にご飯を食べようかなと思って声をかけたが、これからキャバクラに出勤するから。ということだった。感じの良い人だったし鹿児島弁的な訛りが聞けて嬉しかった。
でも声かけるのは精神的に疲れるのでそれっきり諦めたしそのせいでうどんになったのもある。
まぁそれっからは大人しくネットカフェに戻り、シャワーを浴びて就寝した。
とりあえずこれで3日目は終了。
明日からの日記は多分ないし書かない。
書くとしたら10日後とかにまとめて一つにして書くと思う。
ではー
西日本旅行記2 8月11日
広島駅に10日の夜12時についた。
当初の予定としてはどっかの公園でそのまま寝よっかなぁと思っていたが、14時間も電車に揺られて8回程乗り換えをしてみると疲れ果ててしまってネットカフェに泊まった。
次の日の朝は5時53分発の岩国行きに乗ろうとしていたが目覚めめたばかりで気が乗らず、ダラダラしていたら発車の時間も間違えていて逃してしまった。
しょうがないので次の6時25分の電車に乗って広島から山口県の岩国まで、
当初の予定では甲府から1日で岩国まで行き、野宿をして、朝は日本三名橋である錦帯橋を拝んでから次の目的地に行く予定だった。しかし予定変更のため岩国は通過。
岩国の後は下関へ、
下関は青い丸のところ↓
岩国から下関までは乗車時間が一番長かった!
普通なら1時間半〜2時間だが、今回は4時間!
海の景色を見たりしていたが、本当に飽きたときはウイニングイレブンをしていた。
この前の旅行記にも書いたが、改めて車窓から見える街並みを見ていると新興住宅地にはパネルで作ったような豆腐ハウスばかりで本当に代わり映えしないし見ていてなにか落ち着かない。
個性のない中身のなさそうな豆腐ハウスばかり見ていたら瓦屋根の昔ながらの家がなぜか魅力的に見えて来た。
今まで瓦屋根の家は昔っぽく、野暮ったいなぁと思っていた。
もしかしたら豆腐ハウスでも屋根のデザインが重要なのかな。
でも、そしたら壁も変えてもらわないと笑笑
↓のだってなんか中途半端で車窓から見たらいいかもしれないけどなんか落ち着かないよね。
もしかしたら屋根の張り出し具合が重要なのかも。
いや、壁なのかな。もういいや、写真を見てるとウプッとなってしまう。
どこを通っても住宅があり、たまに農地があり、やはり人々の生活があるのだなと感じさせる。
ほんと多いよね1億2000万人。
人類気持ち悪くなってくるわ、ぶわーっといるアリンコみたいなのがそれぞれ思いのままうじゃうじゃ人生を過ごしているなんて。笑
山口県の下関に着いたら次は福岡県の小倉まで、
本州から九州に渡るので海をどうやって通るのかなと思ってワクワクしていた。
ワクワクして外を眺めていたらいきなりトンネルに入っていき、ゴォーという音と共に景色が見えなくなった。
なんかトンネルにしては長いなぁと思っていた。
トンネルを通過したあとも景色は特に変わっていなかったが一応Googleマップを見てみると、もう九州に上陸していた!
なんと、!
小倉までは15分くらいだった。
小倉で乗り換えて博多駅まで行くのだが乗り換え途中も下関からの電車で前に座っていた人も、みんな美人だった。
これが、噂の博多美人かぁと思い、甲府から遥々ここまで来たなぁということを美人を見ることで実感した。
というのは半分冗談で、北九州の工業地帯、八幡製鉄所があったところが今でも鉄工所が沢山あるところで実感した。
なぜ博多に行ったかというと、PCR検査を受けるため。
小倉駅にも博多駅にも県外から来た人用のPCR検査受付が改札にあった。
そこの受付看板にはこう書いてあった、『検査を受けられる人は、以下の県から来た人です。東京、埼玉、千葉、神奈川、大阪、京都・・・・』
あれ?山梨がない?
しょうがないので天神駅まで行き、4000円払って検査を受けた。
結果はしっかり陰性。とりあえず一安心。
これで調査にも参加できる。
安心したところで天神を歩いた。
福岡はこんなに発展していたのか!と驚かされ続けた。
天神地下街はとても雰囲気の良い空間で雨が降っていたが快適に過ごせた。
そういえばちょうど今来ているこの頃は九州に豪雨が来ているときだった。
自分は推定23〜25kgのバックパックを背負っていたのでとても重かったので疲れた。
今度旅をするときはできる限り軽くしようと心から思った。
でなければ観光する気持ちが湧かない。現にそうだったし。
ブラブラしている時は午後の3時ごろでお昼も食べていなかった。
博多は美味しいものがあると聞いてはいたがどこに行けばいいかわからない。
現地の歩いている人に聞こうかなと思ったが躊躇われた。
その時の格好は、福岡の天神という都会みたいなところで、大きいバックパックを背負って短パン裸足サンダルだった。
どうしようかなと雨宿りしながら考えていると叔母さまが近づいて来て『何か悩んでいますか?』と声をかけてくださった。
『ご飯屋さんを探しているんですよ』というといろいろ教えてくれた。
単純ではあるが、この叔母さん1人のおかげで福岡の人は優しいというイメージを持った。
天神でもう一つすべきことはドラッグストアに行き、虫除けスプレー、お菓子、オロナイン、ジップロックなどなどを買うためだった。
バックパックが重いため、移動するのもストレスで、その上Googleマップでどこになんの建物があるか調べないといけない。
ようやく店を見つけて、入っていくとバックパックが大きいため横のラックにぶつけて商品を落としてしまう。
そしてその商品を拾うために屈むのでも精一杯。
一つのコーナーを通ったら前を向きながら後ろ足で下がっていくしか無かった。ストレス。
荷物は軽く、小さくしよう。
そんなこんなでストレスが溜まっては大都会福岡の街並みを見てすごいなぁと緩和していた。
特にアクロス福岡はすごかった。
巨大な斜めの建物でめちゃめちゃ緑化されている。
奥に見える建物。たまたま歩いてたら見かけて、おぉ!と思ったがそこまで近づく体力と気力が荷物のせいでなかった、笑
実際はこんな建物↑
とりあえず歩き終わって、もう福岡から出たい、電車に乗って先へ進みたい、、、と思っていたが、やはりご当地の食べ物は食べておきたい。
ということで地下鉄と隣接しているデパートの地下食べ物やさんでモツを食べた。
めちゃめちゃ美味しかった。
お酒も飲みたかったが今の時期は酒類提供停止なので諦めた。
それにしても、1人は寂しかった。
鍋だから特に。美味しかったからいいけどやっぱり誰かと食べるべきだよね。
栄養とやる気を補給できたので旅続行。
これで一気に目的地の鹿児島まで行ってしまおう。と思っていたけど熊本で大雨のため電車が遅延して順調には進めなかった。
電車の中ではずっと外を眺めていた。
久しぶりにイヤホンを取り出し、音楽を聴くととてもリフレッシュできた。
聴いたのはozworld。ちょっと刺激的な音楽を欲していたのでちょうどよかった。
途中で電車の中で自分1人になったので写真を撮った。なんか中途半端な感じだよね笑
八代に着くまでも大変で、熊本駅では満員電車に乗った。荷物が大きいため申し訳なかった。
何故八代で降りたのか、特に自分では覚えていなかったが、八代駅はマジで何もなかった。
しかも雨降ってるし野宿できないじゃん。
熊本駅戻るかな、とか色々悩んだ。
結局どっかに泊まることにしてGoogleマップで調べたら駅の目の前に旅館があった。
夜の8時だったが電話してみたら部屋を用意してくれるとのことだった。
球磨川旅館というところで、とても感じの良いスタッフの方がウェルカムドリンクをくれたり、色々説明してくれたりした。
何より嬉しかったのは共用の大きいお風呂があってそれが貸切だったことと部屋の畳が新しくてとても良い匂いがして、その上に敷かれた布団がフカフカで、もうなんとも言えない、最高だったこと。(抽象的)
お風呂で本当に疲れが取れた。やっぱりネットカフェより全然良いわ。当たり前だけど。
最高な環境で最高にリフレッシュできた。こんなに幸せで良いのかってくらい
長くなったのでとりあえず8月11日の旅行記は終了。
各要素が多すぎたので、とりあえず書き殴った感じ。
日本語もおかしいところあったりするかもしれないが勘弁してほしい。
ではまた次回
今は屋久島行きのフェリーに乗っているので13日の午前中。まとめて書き上げているよ〜
西日本旅行記1 8月10日
8.9日に小学校からの親友たちと下田の海に行き、その次の日の8月10日朝8時に竜王駅から西日本に向かった。
使用したのは青春18切符。1日JR線乗り放題(特急は除く)で5枚綴りで12500円くらい、1日2500円。
目的地までは36時間、17回乗り換えと、イタリアに行った時よりも時間がかかることになる笑
それでも飛行機でなく鈍行電車を選んだのは日本について目で見てどういう地形でどんな風景がありどんな暮らしがあるのかということを知ってみたかったからである。
まず初めに、塩尻駅は見慣れた感じであったが岐阜の木曽の山間に電車で入って行くと南アルプスと木曽山脈に挟まれているという印象を受けた。南アルプスは高校の山岳部に入っていた時に豪雨強風の中死にそうになりながら登った山であるのでそれも感慨深かった。
途中の駅で日本地図を買って資料と実際の車窓から見える景色を比べながら自分が今どんな場所にいるのかを把握し、地形的に理解することができた。
木曽川の水量が多いのは地形を見れば納得で、まぁそんなようなことを考えながら電車に揺られていた。
木曽を抜け、名古屋の方に入っていくといよいよ都市に近づいたなという感じがした。
悲しかったのは車窓から見える景色ではその土地の魅力に気づきにくいことと、一般的な家屋が山梨にある大和ハウス的な建物ばかりでどこを見ても面白みがなくその土地らしさが全くなかったこと。木曽の中山道では昔の街道的な雰囲気があったが全部が全部板塀のような壁面になっていなかったのも悲しかった。
名古屋を抜け次は滋賀、琵琶湖を見ることは出来なかったが関ヶ原の戦いの関ヶ原を電車で通った時は感慨深かった。
こんなところにも家があるっていうので日本の人口1億2000万人は伊達じゃないなとも感じたし、そう考えると1人の人間がこんなに外界に出るっていうことも珍しいのかなと思った。
1億2000万人の中の1人として生涯何人の人と関わってどの規模のコミュニティで最大限の幸せを得ていくか、みたいな。
まぁそんなことは置いといて、滋賀くらいで疲れたので寝た、そのまま乗り換えて京都、大阪を通り過ぎる時も寝て全く意識がない。
幸い滋賀から兵庫県の神戸まで直通の電車が出ていたので本当に寝るだけだった。
神戸近くの三ノ宮というところから建物がかなり大きくなってきてやっぱり都市だなぁと感じた。
他にも大阪と神戸の港や海を見れて意外と湾の奥まで目視できるんだなと思った。
明石を通った時は明石海峡大橋が見えて、その日で一番感動した。
陸路を通り過ぎていたためどんよりした気持ちだったが島と島を繋ぐフォルムの良い人工物を見てなにか魅力を感じたのだろう。
すごく新鮮だった。
それっから岡山県に入ろうとしていたが問題発生。
甲府を出発する前にpcr検査を受けていたが、それは抗原検査でありしっかりとした検査にならないらしい。ちゃんと陰性が出ていたがこれから参加するプロジェクトではしっかりした検査が求められる。
ということで電車内で景色には目もくれず、必死にpcr検査 西日本 などとsafariで調べまくった。
全然出てこなくて焦ったがプロジェクトの担当者と電話した結果福岡で受けられることになった。
よかった。
まぁそこに至るまで色々とあったのだが長くなるので割愛。
岡山県から広島に行く時、既に夕暮れ時になっていた。姫路で買った駅弁を食べたのは夜の8時ごろ。おいしかったが食べ終わる頃には完全に夜になり電車に乗っている人も少なくなり寂しくなった。
最終的には23時発の電車で岡山から広島に行った。着いたのは24時ごろだった。
バックパックを詰めたのが前日だったため重量を気にすることができなかったが持って、乗り換えを何度もしてみるとめちゃくちゃ重いことに気がつく。体感で20kg程、、、
サイズも大きいので、移動中に、サラリーマンや学生からの視線を感じる。
旅行なのでイタリアでそうだったように、たまたま電車で一緒にいる人と話しても楽しいしなんかそういうのもあったら素敵だなと思っていたがコロナ禍なのでそんなことは出来ない、むしろ電車内では全線常に浮いている笑
話が脱線したけど広島に着く前は『どこかで野宿すればいいっしょ』 と思っていたけど重い荷物と度重なる乗り換えと座っていること、考えることで疲弊していたので駅前のネットカフェに行き、寝た。
5時間寝て1980円、なかなか安いし久しぶりの個室で落ち着いた。
朝は5時52分の始発 岡山から岩国の各停になる予定だったが準備をダラダラしてたら45分になってしまい。挙げ句の果て55分発と勘違いしていたため走って着いたときにはもう遅かった。
駅のホームで朝の一服をしてからコンビニで朝ごはんを買い、6時25分発の電車に乗った。
岡山からの電車からはまたまた瀬戸内海が見えてすごく感動した。
バックには山があり目の前には複数の小さな島があり、海がある。
そしてその海と島々に霞がかかっていてとても良い雰囲気。甲府にいたら絶対に味わえない景色。
工業地帯があるのも瀬戸内海っぽさを感じた。
昔の造船をしていてその流れで重工業をしているんだなぁみたいな。
こんな感じでそれぞれの場所にはそれぞれの魅力があるが、自分は旅行をしてみて改めて甲府はいいところだなぁと思う。
盆地だから暑くて寒いけど山に囲まれているっていう安心感があるし昇仙峡などの原風景的な自然もある。
庭師的な目線で書くと、手が入っていない山や海などの自然風景、原風景を1次的な情報、1次的な情報を誰か庭師やその他の表現者が解釈して作品や景色を作ることを2次的な情報とすると、1次的な情報に触れるのは表現者として必須なのだと思う。
もし1次的な情報に触れられない環境(旅行をしていてもここは商業的すぎて何にもなさそう、どこ行っても建物ばかりでその建物も大手のところが作った箱的な代わり映えしない家ばかり)だったらかなりキツイと思う。
2次情報は他人の解釈とそれからの表現によって生まれるものであるのでその表現者が間違ったもの、1次情報の中の本質的な物を抽出しなかったら間違った物になり、それだけしか感受できない環境にいる都市部の人といったような人たちはあんまり良くないのかなとも思う。どんどんズレていくって感じで。
現に自然を見ていなくて東京のような大都市に生まれていく人たちは変な事件を起こしたり奇行をしているし。
庭師の中でも本質的でない、響かない庭を作っている人もたくさんいる。
でも2次情報の偏った情報からも元の本質的なことはなんだったのかなとかその人自身が考えたり、二次情報同士を掛け合わせることによって新しい何かが生まれるとも思う。
前の世代には想像できないような表現方法による大胆な作品やカルチャーが生まれると思う。
最近では10代の中でもスマホを使って絵画を描いたり、才能を存分に発揮してる人も出てきてるしね。
とりあえず長くなったので書くのをストップ。
また西日本旅行記2を書く気力ができたら書きます。
まぁ読んでくれる人がいるかは分からないけど、書くことによって自分の頭の中が整理されるのでとてもありがたい。
ではまた〜
庭を作るということ。
庭を作る時、
禅寺なら、そこの1番偉いお坊さんがそこで座禅を組んで一つの石組、植木から学びを得る。
学びを得るにふさわしい庭を作るということは、①その人自身が究極に悟っていて物事を考えた上で庭を作るか。
②お坊さんが汲み取る学びを作者自身が知らなくても、自然や神からのメッセージを素直に表現する人、表現者、純粋な媒介者であればいいのかもしれない。
お坊さんやお客さんが作者の意図以上のものを想像し、学びに変える力も重要だと思うけど、庭師もそれなりの覚悟や努力が必要であると思う。
と、北杜市のお客さんのところで伐採の仕事をした昼休みに近くの浄居寺の裏庭にて考えた。
『夕方に追記』禅僧など極地に達した人は、むしろ域に達しているかどうかもわからない庭師に庭を作らせるより、形のないものに対して目を瞑ることによって悟りを得るのだろう。
ということはお寺の庭はただの観光客または檀家用ということかな?
メリット
害のあることをただ単に害と考えることは最大値を下げることを卑下していることであって。
最大値以前にそこまで上げることさえ思考停止しているのかも
脳
2%を20ではなく100%=4 ma fiNo
摂理
人間1万年間繁栄してきたけど、それぞれの時代で成功した といわれる人は
『人間の本能を客観視してそれを利用することができる』人だと思う。
利用していることに気がついていない人もいるけど。
太古からのデフォルトは変わらない